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2019.03.12

志(こころざし)ある者・・・

いよいよ、御代替わり(5/1皇太子殿下が新天皇としてご即位)が近づいてきました。

小渕官房長官(当時)が「平成」と新元号を発表から早30年が経ちました。 新しい時代の元号発表は、もう直ぐ(4/1:桜満開の頃)だそうですが、どうなるのか!? 興味と期待で一杯の今日この頃です。

 

 昨年末のブログで触れたのですが、この平成の30年間(日本は大きな災害に見舞われ続けたこともあり)結果として国の経済(GDPも税収も)を伸ばすことは、残念ながら適いませんでした。

 

しかしながら、もう少し先の時代・日本のレベルで想い起こせば・・・

①     「昭和時代」先の大戦後からわずか19年後の昭和39年には、時速200キロの高速鉄道(新幹線)を世界初で完成させたこと(主に戦前生まれの方々の仕事)・・・ 

②     「明治時代」鉄道(陸蒸気)開通に向けて、測量が始まったのが明治3年3月、そしてわずか2年半後の明治5年9月には、新橋⇔横浜間を開通させたこと(全員、江戸生まれの方々の仕事)・・・

 その時代々の必然性(昭和は戦後の復興/明治は富国強兵<欧米列強に追いつく>)が背景に有ったとしても、①も②も、国としてのハッキリとした方針の下での、先人達の凄まじいまでの高い使命感というか、志(こころざし)があってこそ、成し遂げることの出来た偉業であったと想います。 そして、これらの鉄道インフラの事例だけでなく、日本の今までには、志に生きて、それを成し遂げてきた先人達は数多く存在し、それぞれが魅力的なアプローチだけでなく、結果として日本の有形資産として残して下さり、それを引き継いでの現在の日本の繁栄であろうと、考えさせられる事も多いのです。

 

「志のレベル過去N0.1」の日本人と言っても過言ではないと思うのは、伊能忠敬(いのうただたか)のことです。 忠敬は事情があって、上総(千葉県)の大商家に婿入りし、立派に家産を増やし49歳で隠居・・・(ここまでは普通ですが、その後)忠敬の生来の夢である、天体観測の勉強の為に江戸へ出る。  忠敬は最初から地図を創りたかったのではなく、地球の大きさを知りたいが為に、その為には子午線一度の長さを算出する必要があり、その想いを持って蝦夷(北海道)に測量に赴いたのが、56歳の時。 それから、忠敬は72歳まで17年間に亘って、北海道から九州まで全行程34,913キロを歩測(一歩69cm)で、歩き続ける。 しかしながら、この地図の完成をみることなく73歳で他界。 「大日本沿海全図」が完成したのはその三年後。 忠敬が導き出した地球の外周と現在の測定値の誤差はわずか0.1%だそうですから、全く驚くしか無い精度の仕事(結果)です。

自らの役割(大商家の跡取り)を果たして、50代になってから(江戸末期の50歳ですから<栄養状態も良く最高の医療を受けられた江戸将軍15人の平均寿命が51歳>、現代では70歳以上!?と考えても)その志に従って生き抜いて、それを完遂した伊能忠敬の生き方には学ぶべきことが多すぎて、感動すら覚えます。

 

昭和の戦後生まれの世代、イコール団塊の世代以後の皆さんに問います。 おそらく古希前後に齢は重ねられたでしょうが、我々は、「平成時代」の日本に何を残せたのでしょうか!?(この時代にGDPを延ばせなかった責任を感じるのは、小職だけでしょうか!?) いやいや、例えそうだとしても我々は“未だ70歳”なのです! それは、イコール“忠敬の50歳”時!!

 

『志を立てるのに遅すぎることはない』

<ボールドウイン(1867~1947):英国の政治家、68歳から二度目の首相>

『志ある者、事ついに成る』

<後漢書の言葉:堅い志を持つ者は、いかなる困難に遭っても必ずその志を成し遂げるという意味>

<この言葉は、昨年ノーベル賞を受賞した本庶佑教授の座右の銘だそうです>

 

 いつ、どこからスタートしてもいい、やりたいと思った時が、志を立てた時である。

後は、自分のペースで歩き始めればいい・・・。

 

早咲きの桜があちこちで、3月半ば・・・                   代表取締役 松元 收

 

※ちなみに、小職、お陰様で来月満69歳に。

 体重69kg、脈拍69回/分、そして一歩69cm(忠敬と同じ)を意識して

 人生初の69歳を歩き始めます^^            

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